新・野川日記日本海と森の巨石 | office_hiroko

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 和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。学内のはみ出し者、山伏、学外から勉強しにきた外人と様々な人種で構成され、いまや一種のアジール(聖域)と化している。毎週一回のゼミの後、夜会と称して山本先生を囲んだ懇談会を開催しており、そこに連れ込まれていつの間にか一員となった者も数多い。ゼミとは別に、有志による勉強会も随時開いている。また学外の学びの場である成城寺小屋講座にも主体的にゼミのメンバーは関わっている。長野県蓼科の山荘や、高知県物部町の「和光大学ものべ荘」、そして鶴川の「岡上ハウス」などの拠点を持ち、日々勉強に邁進する。本HPはそんな山本研の活動の一端を発信すべく2011年5月にリニューアルした。

新・野川日記日本海と森の巨石


あまりの忙しさにかまけ、野川日記も長く休止状態。怠惰な私に再開を促したのは、安来の摩多羅神と見知らぬ出雲だった――。
3月末に摩多羅神と荒神さん絡みで出雲・松江フィールドワーク。4月29日には安来清水寺で本堂の落慶法要が、盛大にして華やかに挙行された。特筆すべきは、修築に伴い本堂東北隅に奉安された摩多羅神坐像を祝って、「媼舞」が奉納されたことだ。発案のきっかけは私だが、毛越寺延年の「老女舞」をお手本に創作されのは『黒い翁』の著者乾武俊先生。清水寺に伝わる古面(のレプリカ)を付けて舞ったのは狂言師小笠原匡さん、笛は槻宅聡さん。
祝宴は松江の一畑ホテルだったので、夜は松江で出雲マタラ組の岡部康幸さん、岡宏三さんと一献。翌日は、岡部さんと出雲逍遥。以下は、「日本海」と「巨石」へと私を誘った、案内人岡部さんの寄稿である〔山本ひろ子〕。

 
「まだ行ったことのない出雲を案内して」という山本ひろ子先生のリクエストにどこまで応えられるか。その案内先のメーンを出雲市坂浦町の「立石(たていわ)さん」に決め、松江市の芦尾地区、出雲市の一畑薬師や小伊津地区などを車で訪れた。山本先生が安来・清水寺の本堂修復落慶法要に参列した翌日、4月30日のことである。
島根半島の北側、松江市秋鹿(あいか)町の芦尾地区は小さな漁村である。宍道湖岸を走る国道431号から北に進んで六坊(むつぼう)トンネルを抜けると、そこが芦尾地区。水上勉の小説「波の暦」の中に出てくる。この日は芦尾の西にある魚瀬(おのぜ)から芦尾に入った。地図で見れば一目瞭然ではあるが、宍道湖と日本海の近しさを実感してもらいたかった。
続いて行ったのは一畑薬師。山上の駐車場はほぼ満杯だった。「2歳児まつり・4歳児お礼まいり」のためで、境内は幼子を連れた若い夫婦であふれていた。境内には4月8日に水木しげるさんも出席して除幕された「のんのんばあ」の新しい像があったが、参拝者は意外に無関心。あいにくの空模様にもかかわらず、山上から眺める宍道湖は素晴らしかった。
山上駐車場から日本海に向かい北進するとそこは坂浦町。一畑薬師の本尊が出現した赤浦もある。「立石さん」には一度行ったことがあるだけで、道に迷ってしまった。庄部地区の民家で訪ねてやっと行き着いた。同地区の山道の道端にある「立石神社入口」の立て札が目印となる。
雑木やモウソウダケの茂る斜面の細道を50メートルばかり下るようにして進むと、突然視界が開け巨石が姿を現す。少し間を空けるようにしてそそり立つ二つの巨石の高さは10メートルもあろうか。巨石の前には祭りのための平らな空間があり、背後にはさらに大岩が何個か確認できる。毎年ここで庄部地区全体の祭りが行われている、と「郷土誌さか」に出てくる。「出雲国風土記」楯縫郡の神名樋山(大船山)の記述にある石神候補の一つとも言われる。


鬱蒼とした森の中の「立石(たていわ)さん」(出雲市坂浦町)

立石さんのたたずまいに、山本先生は「宮古島の御嶽をほうふつさせる。来てよかった」との感想。島根半島の海岸部には黄泉の穴に比定される猪目(いのめ)洞窟遺跡があり、出土人骨は右腕にゴホウラ製貝輪6個を着けていた。ゴホウラは沖縄近海の海でしか採れない。出雲で神在(かみあり)月と言われる旧暦10月、島根半島には竜蛇さんが流れ着く。竜蛇さんの正体はセグロウミヘビで、沖縄近海の海に生息する。島根半島の東端に鎮座する美保神社には、漂着した沖縄のサバニが収蔵されている。……海の道を通じた出雲と沖縄の交流の古層があれこれ思い浮かんだ。
住宅地図を見ていたら、庄部地区には立石姓が多いことを発見した。「立石さん」と何か関わりがあるのかもしれない。「立石さん」については荒神谷博物館が5月7日、学術調査に着手した。

「立石さん」から日本海に向かって道なりに進むと、佐香小学校を経て小伊津町に出る。島根半島の日本海に面した浦々の中では大きな地区である。アマダイのはえ縄漁が有名で、その塩焼きは絶品。山肌の斜面に民家がへばりつくようにして密集する。それぞれの民家の敷地面積は小さいから、多くの家が3階建てだ。かつて大火に見舞われたこともあり、住宅をつなぐラビリンスのような路地には防火の神が祀られている。


漁港から見上げた小伊津の集落(出雲市小伊津町)

小伊津を訪れた洋画家の須田国太郎は、漁港から見上げた集落の景観について、地中海地方の階段集落を思い浮かべた。作家の内海隆一郎さんは小説「百面相」の中に小伊津を登場させている。
小伊津から海岸道路を通って西隣の三津町へ。このコースではほぼ180度にわたって広がる水平線が魅力的だ。予定にはなかったが、御津神社の荒神と隣接する三宝金神(荒神)にも参拝した。〔岡部康幸〕


御津神社の三宝金神(出雲市三津町)


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山本ひろ子先生のプロフィール 山本ひろ子
日本宗教思想史専攻。70年代に生まれた「寺小屋教室」にて、原典購読を中心とした活動を続ける。
山本ひろ子研究室とは? 山本ひろ子
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