大先達と野に遊ぶ―“被差別・芸能組”蓼科合宿レポート(前編) | office_hiroko

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 和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。学内のはみ出し者、山伏、学外から勉強しにきた外人と様々な人種で構成され、いまや一種のアジール(聖域)と化している。毎週一回のゼミの後、夜会と称して山本先生を囲んだ懇談会を開催しており、そこに連れ込まれていつの間にか一員となった者も数多い。ゼミとは別に、有志による勉強会も随時開いている。また学外の学びの場である成城寺小屋講座にも主体的にゼミのメンバーは関わっている。長野県蓼科の山荘や、高知県物部町の「和光大学ものべ荘」、そして鶴川の「岡上ハウス」などの拠点を持ち、日々勉強に邁進する。本HPはそんな山本研の活動の一端を発信すべく2011年5月にリニューアルした。

大先達と野に遊ぶ―“被差別・芸能組”蓼科合宿レポート(前編)


 さる10月23日から26日にかけて、山本ひろ子研究室の中の勉強会“被差別・芸能組”の合宿が、諏訪・蓼科の地で行なわれた。9月に挙行された“山組”の椎葉での研究旅行に対抗する意味合いもあって、メンバーそれぞれが入念な準備を重ねて臨んだ。今日はその模様をお届けしよう。
 
◆被差別・芸能組、発足!
 今回の合宿のあらましを語る前に、そもそも被差別・芸能組とは何か?  という当ホームページ読者の疑問に答えねばならないだろう。現在、山本ひろ子研究室にはふたつの「組」(共通のテーマを持った研究グループ)が存在している。
 そのひとつはこの初夏に発足した「山組」だ。山組は、現役の山伏で羽黒山をフィールドとする本田と、九州の椎葉神楽に衝撃を受けた高橋(3年生)が出会い、さらに今年度に入って「山の神」をテーマとする中田(2年生)が加わったことにより、“山の信仰・儀礼”を共同で研究してゆく「チーム」として立ち上がった。構成メンバーは今現在、先達の本田、中田、高橋の三名。週に二度のミーティング兼勉強会を重ねる強力な運動体である。
 山組の発足を受けて「山組に対抗しうる新たな研究会を立ち上げようではないか!」という声が一部のゼミ生たちからあがった。そうした流れから結成されたのが「被差別・芸能組」である。そのきっかけとなったのは故・中上健次が企画、設立した「熊野大学」の8月に開かれたセミナーに山本先生が参加された際、宮嶋・得田・矢田の「岡上三人組」が同行させていただいたこと。これに感激した我々は、中上健次の文学の最深部にある〈差別〉のテーマに取り組むには、定期的な勉強を共同で重ねて行くことが不可欠、と考えた。次いで他大学から通う“秀才”鈴木を口説き、さらには贅沢なことに顧問として山本ひろ子先生を迎えることによって、被差別・芸能組はめでたく発足の運びとなったのである。
 このように、研究室の中に身を置きつつも独立して活動する二つの「組」が発生した事で、研究室の活動と勉強は深さを増し、ある種の緊張感を持って活性化されてきたように感じる。

◆蓼科合宿と「諏訪御三家」
 「組」のことはさておき、「蓼科合宿」について今いちどご紹介したい。こちらも研究室活動のひとつの軸をなす大切な活動なのである。研究室ではここ数年、諏訪・蓼科にある宿舎を借りて年に三回の勉強合宿を行なっている。この合宿をより奥深いものにしてゆく上で欠かせないのが、田中基先生、原直正先生、石埜三千穂先生という三人の大先達の存在だ(ぼくたちは尊敬と親しみを込めて彼らを「御三家」と呼んでいる)。諏訪でのフィールドワークや合宿では必ずといっていいほどお世話になる「大先生」であると同時に、ぼくたちと共に勉強をしていく最高の「勉強仲間」でもある。
 御三家と何年も前から計画しつつ、なかなか実現しなかったのが、諏訪の祭事を記した古資料『年内神事次第旧記』の講読である。その端緒にあたるものが、今回は山本先生による報告というかたちで実現することになった(内容については後編で紹介したい)
 そんなわけで、当初は「被差別・芸能組合宿」として位置づけられていたのが、計画が進むにつれてその性格は大きく変わっていった。『旧記』の講読があることを聞きつけた「山組」の参入や、諏訪にはじめて訪れる「新人」ゼミ生の参加……などなどの理由で、当初の計画よりもずっと規模の大きい合宿となったが、何はともあれ、日が近づくにつれてメンバーの気合いと緊張はいやましに高まっていった。

◆大先達と野に遊ぶ
 さて、時間をかけて準備を重ね、満を持しての合宿当日である。初日は諏訪大社を拝観したことのない「新人」5名を対象に、「上社」周辺のフィールドワークを行なった。案内人は田中基先生と石埜三千穂先生。地元研究者に当地を案内していただくという贅沢さにいささか恐縮しながら、まずは諏訪市博物館へ。この地域で発掘された世界的に貴重な縄文土器を前に、田中先生の説明にも熱が入る入る。中でも「蛇体装飾付釣手土器」はこの館のメイン。田中先生によれば、子宮から火が生まれる様子を示し、生と死の「二極転換」を表すという(記紀神話ではイザナミかオホゲツヒメが相当するらしい)。他にも諏訪の各地にある前方後円墳は中央の王達とのネットワークの存在を示唆するものではないか、などの面白い見解を聞く事ができた。田中先生のダイナミックな身振りに圧倒されながら、みんな真剣に話に聞き入っていた。
 その後は諏訪神社本宮、守矢史料館、諏訪神社前宮などを巡り歩く。中世以来、本宮では前宮の方向(かつて「お鉄塔」があった)に向かって拝殿が作られているが、さらに古い時代には神体山に向かって拝礼していた、などの興味深い話を伺った。

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諏訪神社本宮前にて。祭りのときは隙間がないほど込み合っています。

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神長官裏古墳を覗き込む我らが一行。

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守矢史料館前にてちょっと一息。野原が気持ちいいんです。

 守屋史料館で貴重な文書などの資料を見た後は、前宮へ。神殿跡、十間廊、内御霊殿、鶏冠社、前宮、そして御室(みむろ)……あぁ、まさにここで諏訪祭政体の王たる大祝(おおほうり)とミシャグジ神の司霊者・神長官(じんちょうがん)、そして大祝の分身・神使(おこう)らが祭祀を行なっていたのだなァ、と感激するも束の間。ここでも田中先生のダイナミックな解説に圧倒されるのであった。

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諏訪神社前宮へ到着。田中先生のお話に一同聞き入るの図。

 なかでも興味を惹かれたのは、かつて七十五頭もの鹿頭を奉納するならわしだった十間廊(じっけんろう)での神事「大御立座神事」(通称「酉の祭り」)。
 大昔、一ヶ月の精進生活を終えた神使が「神原」(前宮)へと差し出されると、さらに七日間の精進をして祭りに臨んだ。近世では神使に対して「打擲の体を為す」との記述も残る。長い忌み籠りから外へ現れた聖なる子どもたちと、立ちこめる肉と植物の匂い……想像するだに息が止まり、身の毛のよだつものを感じた。(今はほとんど形式だけしか残っていないとはいえ「供儀」をテーマとするトクダとしては、来年の「酉の祭り」にはぜひ行きたいものである)

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“酉の祭り”の行われる十間廊にて。真剣にメモ、メモ。

 先生がたのご案内のおかげで、本宮の不思議な社殿配置の歴史、前宮で行なわれた祭祀など、諏訪の信仰を語る上で大切な問題意識を持って見学をすることができた。時間の都合上、田中基先生のイチ押しであった前宮の秘境「水眼(すいが)の流れ」に行けなかったことが悔やまれる(田中先生、次回またよろしくお願いします!)
 夕刻、フィールドワークを終えて我々の「アジト」である蓼科の山荘へと向かう。宿舎にて、田中基先生の著書である『縄文のメドゥーサ』と山本先生の論考「囚われの聖童たち」を扱った勉強会を行なった。
 夜になると原直正先生も合流して山本ゼミ恒例の「夜会」が始まる。その日のフィールドワークの感想、翌日からの報告会の話など話は尽きない。夜会が終わって宿泊施設に帰ってからも諏訪御三家と学生達を交えた二次会が開かれ、さかんな議論が繰り広げられた。初日からエンジン全開。この先どうなる!?――ということで続きは来週。乞うご期待。〔文・得田授〕

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山本ひろ子先生のプロフィール 山本ひろ子
日本宗教思想史専攻。70年代に生まれた「寺小屋教室」にて、原典購読を中心とした活動を続ける。
山本ひろ子研究室とは? 山本ひろ子
和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。
先生の著作紹介 山本ひろ子
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