〈山の神〉と出会う旅 〜諸塚・椎葉道中記(前編)〜 | office_hiroko

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 和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。学内のはみ出し者、山伏、学外から勉強しにきた外人と様々な人種で構成され、いまや一種のアジール(聖域)と化している。毎週一回のゼミの後、夜会と称して山本先生を囲んだ懇談会を開催しており、そこに連れ込まれていつの間にか一員となった者も数多い。ゼミとは別に、有志による勉強会も随時開いている。また学外の学びの場である成城寺小屋講座にも主体的にゼミのメンバーは関わっている。長野県蓼科の山荘や、高知県物部町の「和光大学ものべ荘」、そして鶴川の「岡上ハウス」などの拠点を持ち、日々勉強に邁進する。本HPはそんな山本研の活動の一端を発信すべく2011年5月にリニューアルした。

〈山の神〉と出会う旅 〜諸塚・椎葉道中記(前編)〜


日々運動を展開している山本研には、現在猗鏈絞漫Ψ歿汁鉢瓩鉢犹柿鉢瓩ある。それぞれ関心を共にする仲間が集まってのミニ研究会だ。山伏修行中の本田、狩猟文化に関心のある高橋、そして山の神を研究テーマとする私、中田が現在の山組構成員である。今年度、山組の自主研究旅行として計画したのが宮崎県・椎葉村へのフィールドワーク。これから2回にわけて、このフィールドワークのあらましを報告したい。
 
◆山組は狡罵姚瓩鯡椹悗后
椎葉村は、宮崎県と熊本県の境の山間部に位置し、柳田國男が『後狩詞記』を記すきっかけとなった地。狩猟、焼畑、神楽などの伝統が生きている場所だ。昨年は山組の高橋が『後狩詞記』と椎葉の尾前地区の神楽をテーマに助成金論文を執筆した。私も昨年、尾前神楽や椎葉民俗芸能博物館を見学してカルチャーショックを受けた。出来れば神楽の時期ではないときに、ゆっくりと椎葉を訪ねてお話を伺ってみたい――。そんなわけで、今年の早い段階から狡罵姚瓩六柿箸僚藥各Г澆冒蟇しい地として立ち現れていた。
さて山本研究室の牴畄祗瓩箸發い┐覬親阿旅膣屬鯔イ辰董椎葉行きを敢行したのは9月も半ば過ぎ。山の神を追いかけている私としては、神楽に出てくる山の神や山人といった存在について知りたい、また地元の人々が山の神をどう捉えているのかを知りたい。そんな思いで計画を進めてゆくと、いつのまにか4泊5日の行程は盛りだくさんの犇遒餌疥垢箸覆辰拭K名紊垢訛翩を東京でやりすごし、いよいよ旅は始まった。


宮崎は快晴。胸躍らせながらバスを待つ。

◆爛轡ぅ織鵜瓩鉢犹骸薛瓩領ぁ⊇塚村を散策。
 まさに台風一過というべきか、前日とは一変して見事に晴れ上がった。空気も乾燥していて、絶好のフィールドワーク日和だ。諸塚へと向かうバスの窓から見える耳川だけは、水かさが増して前日までの豪雨を物語っている。
 最初に訪れたのは「しいたけの館」。諸塚村は“世界水準”の椎茸の産出地。ここは椎茸栽培の紹介のみならず、観光案内所も兼ねていて、郷土史関係の書籍も閲覧できる。まずはここで、展示や資料を見ながら、どこを周るか検討する。諸塚に残る神楽についても教えていただいた。村内に残る山の神の祠、由緒ある神社、滝などいずれも心惹かれたがいかんせん、時間と費用に限りがある。

◆坂の上の琵琶法師祭り。
 地図を見ながら検討し「吉野宮神社」に決めた。しかし、車が走り出してから驚いた。ここでは川に沿っていくつもの谷筋があり、地図上で近くみえても谷を越えてゆくので思いのほか遠いのだ。さらに、吉野宮神社ははるか上方、標高690mの尾根筋の分水嶺に位置する。まるですり鉢の底から、鉢の縁に向かって走っているかのように、みるみる眼下の谷が遠ざかる。タクシーの運転手さんも地元の者でないと山道はわからんだろう、という。山が深いとはこういうことか。吉野神社に到着し、車を降りると、遠くに延岡の町と海が望めた。おもわず溜息が出る。
 峠にこんもりと茂った森がある。お宮はこの中にある。急な階段を登ってゆくと、小さなお堂が目に飛び込んだ。ゆらりと堂内で人影が動いたようにみえたが、気のせいだった。境内に琵琶を抱えた僧の石像があった。
 江戸時時代、盲目の琵琶法師がこの峠で盗人に襲われて殺された。殺されてから七日七夜、盲僧の持っていた琵琶の音が里村に聞こえていたという。里人は盲僧の魂を鎮撫し祠をたてた、それがこのお宮だ。最後の琵琶法師と称された永田法順さんもお宮の祭りに演奏に来ていたという。目の病に効験があるこのお宮は、祭りの当日にはかなりの人が訪れるのだとか。ひっそりと静まり返った境内で、社殿に貼られた鮮やかなポスターだけがハレの日の賑わいを想像させた。


吉野宮神社・鳥居前。視線を移せば勝景が広がる。

◆山組、犹貝瓩隆紳圓鬚Δ韻襦
 諸塚村には南川神楽と戸下神楽が継承されている。なかでも戸下地区には、山葛を身にまとい、生木の杖を携えて「御神屋」を訪れ、神主との問答を行なう犹骸薛瓩箸い次第が伝わっている。山の神を調べている私にとって、まるで山の息吹そのものを纏ったかのような犹骸薛瓩蓮△箸討盖い砲覆訛減澆澄今夜はその戸下で、山守役を演じる綟川陽夫さんをはじめ「戸下神楽保存会」の皆さんからお話を伺うのだ。
戸下の集会所は吉野宮神社同様、抜群のロケーションを誇る場所に建っていた。正面には薄闇に包まれた山並みがどこまでも続き、遠く夕暮れがにじんでいる。ふと、夜明けの刻限に合わせて舞われる「岩戸」が思いおこされた。なるほど確かにここは最高の舞台である。
 集会場では綟川さんの奥様が食事を用意してくださった。宮崎では丁度今が、栗の美味しい時期だとか。栗ご飯のお握りにシイタケの煮物と、この土地のこの時期ならではの料理が並ぶ。さらに地蜂のご馳走!も。歓待をうけながら、こちらも「マレビト」として土地の人々に牴燭瓩鬚發燭蕕垢海箸できればという思いを強くした。


お世話になった保存会の田村さん。その手に持つのは……山の絶品・蜂の子!

 保存会の方々からは、実にたくさんのお話を伺うことができた。「山の神」は女で、赤不浄を嫌うという、猟師達が伝えるものとほとんど同じ伝承があること、「山守」に扮する際の作法、今の信仰のすがたなど、興味深い話が留まることなく続く。皆さんはとても気さくで、同時に誠実であった。先人から受け継いできた神楽はもちろん、この地での暮らしそのものに真剣に向き合っていることが、お話を通して伝わってきた。なによりその姿勢に強く惹かれた。伝統を守ってゆくことと、人々が楽しく過ごせる環境を大切にすることとは、深いところで繋がっているように思う。
勉強不足で気の利いた質問もできなかったが、こうした「現地の空気」を味わえることもフィールドワークの醍醐味だ。満点の星空の下、たくさんの犹貝瓩らのお土産をいただいて戸下の集会所を後にした。諸塚・椎葉の旅はまだまだ続く……。〔文・中田雪野〕

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山本ひろ子先生のプロフィール 山本ひろ子
日本宗教思想史専攻。70年代に生まれた「寺小屋教室」にて、原典購読を中心とした活動を続ける。
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