特別企画――物部・いざなぎ流関連小論 その3 | office_hiroko

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 和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。学内のはみ出し者、山伏、学外から勉強しにきた外人と様々な人種で構成され、いまや一種のアジール(聖域)と化している。毎週一回のゼミの後、夜会と称して山本先生を囲んだ懇談会を開催しており、そこに連れ込まれていつの間にか一員となった者も数多い。ゼミとは別に、有志による勉強会も随時開いている。また学外の学びの場である成城寺小屋講座にも主体的にゼミのメンバーは関わっている。長野県蓼科の山荘や、高知県物部町の「和光大学ものべ荘」、そして鶴川の「岡上ハウス」などの拠点を持ち、日々勉強に邁進する。本HPはそんな山本研の活動の一端を発信すべく2011年5月にリニューアルした。

特別企画――物部・いざなぎ流関連小論 その3


物部フィールドワークのための事前の勉強会と現地でのさまざまな体験を経て、私たちは、より深く物部といざなぎ流について、また民間信仰や呪術について知りたいという思いを強くしています。私たちが物部を訪ねる十数年前に山本ひろ子先生は、先生ならではのアプローチで、いざなぎ流との邂逅を果されました。今回の「論考を読む」では、先生のいざなぎ流に関する一連の論考「呪術と神楽――日本文化論再構築のために」(『みすず』掲載)のなかから、初回の「法太夫の住む村」を数回に分けてとりあげ、山本先生と物部との出会い、さらには民間の宗教者たちに向けられた先生の眼差しの軌跡をたどってゆきます。

呪術と神楽――日本文化論再構築のために
  第一回 法太夫の住む村(その1)

(『みすず』443、みずず書房、1998.2)


魔法。
魔法とは、まあ何という笑わしい言葉であろう。
しかし如何なる国の何時の代にも、魔法というようなことは人の心の中に存在した。そしてあるいは今でも存在しているかもしれない。
埃及、印度、支那、阿刺比亜、波斯、皆魔法の問屋たる国ゝだ。
真面目に魔法を取扱って見たらば如何であろう。それは人類学で取扱うべき箇条が多かろう。また宗教の一部分として取扱うべき廉(かど)も多いであろう。伝説研究の中に入れて取扱うべきものも多いだろう。文芸製作として、心理現象として、その他種ゝの意味からして取扱うべきことも多いだろう。化学、天文学、医学、数学等も、その歴史の初頭に於ては魔法と関係を有しているといって宜しかろう。

(幸田露伴「魔法修行者」)


 昭和三年『改造』に掲載された、幸田露伴の「魔法修行者」の冒頭である。まさしく露伴の言う通り、多くの学知は〈魔術知〉と呼ぶべきもの、ヘルメス的思考がその土壌にあった。フィツィーノやカンパネッラを旗手とするイタリア・ルネサンスが魔術知を触媒としていた事実はもはや定説になりつつある。
 そればかりではない。かのアイザック・ニュートンは、執拗なまでに錬金術の実験を繰り返し、手稿と実験メモを残した。死後ニュートンの錬金術手稿は競売に出されて、一部散逸したが、ケインズ卿によって蒐集され、世に言うケインズコレクションの一角を飾るに至る。ケインズ卿はニュートンを、「理性の時代の最初の人ではなかった。彼は魔術師たちの最後の人、最後のバビロニア人にしてシュメール人……」と評した。

なぜ私は彼を魔術師と呼ぶのだろうか。その訳は彼が全宇宙と、そこに存在するすべてのものを謎とみなしていたからである。つまり、秘密団員に一種の賢者の宝捜しを許すために神が世界のあちこちに配しておいたある証し、ある神秘的な手掛かりに、純粋思考を働かせて読み解ける秘密だとみなしていた……。

(J・T・ドブス著『ニュートンの錬金術』寺島悦恩訳)



 ニュートンは錬金術と機械論の統合と、一つの普遍物質の変成を目論んだ。「自然の全機構は発酵の原理によって凝縮されたエーテルにほかならない。……おそらく万物はエーテルから産み出される」。
 こうした思考と実験の母胎となったものは、まさにヘルメス的思考、〈魔術知〉にほかならない。ネオ・プラトニズムの「世界霊」に限りなく接近したニュートンのエーテル説は、たしかにデカルト的ゴリゴリの機械論に異議申し立てをしたのである。
 早くにニュートンのエーテル仮説に同調したのは、アンドルー・マイケル・ラムゼーであった。ラムゼーの寓意小説『キュロス紀行』のなかで主人公キュロス皇帝は異教の神学者たちと遭遇していくが、その第一がペルシャのゾロアスターであり、ゾロアスター(畢竟、ラムゼー自身)はニュートンのエーテル説の熱烈な信奉者という役回りを演じている。

ラムゼーはニュートンを「古代神学者」の系譜に列なる人物、原子論と新プラトン主義の「世界精気」・「世界霊魂」を結びつけ、数学的自然法則をウェルギリウスの精気に結合させた、敬虔な宇宙論の長い伝統の頂点を身に体した人物として見ていたに違いないと私は思う。

(D・P・ウォーカー著『古代神学』田口清一訳)



 このように、「埃及(エジプト)、印度、支那、亜剌比亜(アラビア)、波斯(ペルシャ)」などの「東方」だけが、「魔法の問屋」であったわけではない。しかし今問題とすべきは、西欧ではなく、もちろん日本である。もう少し露伴の蘊蓄に耳を傾けてみよう。露伴は「我邦での魔法の歴史を一瞥」したあと、「魔法の類の称」を列挙する。

 先ず魔法、それから妖術、幻術、げほう、狐つかい、飯縄の法、茶吉尼(ダキニ)の法、忍術、合気の術、キリシタンバテレンの法、口寄せ、識神をつかう。大概はこれらである。


 以下、それぞれについて言及していく。たとえば梓神子(みこ)による「口寄せ」を、「古い我邦の神おろしの術が仏教の輪廻説と混じて変形したものらしい。これは明治まで存し、今でも辺鄙には密に存するかも知れぬが、営業的なものである」とし、「識神(しきがみ)を使ったというのは安倍晴明きりの談になっている」と断じた。
 では露伴は何をもって「代表的な魔法」とみなしたのかというと、ダキニ天法と飯縄の法であった。
 ダキニ天(法)を「なかなか御稲荷様のような福々しいものではないのである」と喝破したのはさすがだが、次の点だけ補足しておこう。中世‐近世の天皇は代替わりの継承儀礼として、大嘗祭のほかに密教流の即位灌頂を修しており、その一流がダキニ天法であったと。
 とすれば天皇が魔法修行者ということになるが、実際は修行らしいことはしない。ダキニの印明そのほかを授けるのは摂関家の大臣なのだが、ともあれ皇位に昇るためには、異類の通力を仰ぐばかりか、その異類と一体となる秘儀が必要であった。中世の天皇には稲の王的要素は希薄であり、異類王たらんとするイニシエーションによって王権は継承されていたのだ。*註1
 続いて露伴は、「飯縄の法というといよいよ魔法の本統大系のように人に思われている」として、飯縄山を本拠とする飯縄法とその系統の愛宕法に言い及ぶ。もちろん露伴の関心は飯縄法の中身ではなく、もっぱらその修法者にあった。

 我邦で魔法といえば先ず飯縄の法、茶吉尼の法ということになるが、それならどんな人が上に説いた人のほかに魔法を修したか。志一や高天は言うに足らない、山伏や坊さんは職分的であるから興味もない。誰か無いか。魔法修行のアマチュアは。有る。先ず第一標本には細川政元を出そう。


 というわけで、以下露伴の筆は、二十年間飯縄法を修行した細川政元が浴室で暗殺されるまでを辿りゆく。
 第二標本は玖山(きゅうざん)公九条植通(たねみち)、印を結んでの行法のかたわら、六十年間も源氏物語を読みふけった人物である。「飯縄も成就したろうが、自己も成就した人と見える。天文から文禄の世に生きていて、しかも延喜の世に住んでいたところは、実に面白い」と、露伴は強く心を惹かれたようだ。晩年の「物寂(さ)びた」「空室に日の光が白く射したような生活」を描き出し、「その器その徳その才があるのでなければどうすることも出来ない乱世に生れ合せた人の、八十ごろの齢で唐松の実生(みしょう)を植えているところ、日のもとの歌*註2には堕涙の音が聞える。飯縄修法成就の人もまた好いではないか」の文で一編は終わる。
 かくして露伴の傑作「魔法修行者」は閉じられたが、こちらの魔法はここで終わるわけにはいかない。「識神を使ったというのは安倍晴明きりの談になっている」との露伴の評言から始めることにしようか。
 希代の陰陽師安倍晴明。天文に通じ、鬼人を駆り、未来を判じ……。有名な一条戻橋を筆頭に、安倍晴明の伝説は日本各地に点在している。伝説ばかりではない。歴史の表舞台から専門職の陰陽師は姿を消しても、陰陽道の思想や法術はさまざまな芸能や儀礼、また習俗にまで浸透していった。その象徴が「セーマン」などと呼ばれる✩、すなわち桔梗晴明判だ。
 露伴ほどの博学がこれらの事象を知らなかったわけはあるまい。「安倍晴明きりの談になっている」というのは、実際に式(識)神を操り、祈祷をし、時には呪詛をする陰陽師はとうの昔に存在しなくなったの弁だろう。だが嬉しいことに、この露伴の見解は大外れであった。
 露伴のひそみにならって問いかけてみよう。「誰かいないか、式神使いのアマチュアは」。
 いる。式王子を操り、呪詛を捌き、祈祷をする、まさに「魔法修行者」は実在し、しかも特定の地域に暮らしていた。その村は高知県香美(かみ)郡物部(ものべ)村。彼ら魔法修行者の名を「いざなぎ流」の太夫と呼ぶ――。
 露伴の張りめぐらした学知の網に、引っ掛からなかったのも無理からぬこと。いざなぎ流と太夫たちの存在・活動が一部の研究者に知られるようになったのは、戦後も昭和四十年代になってからであった。
 それから三十数年余。遅ればせながら魔術知をめぐるわたしの思索は、いざなぎ流の世界を歩猟していくことになる。しかしそこに至るには、いささかの回り道が必要だ。(「論考を読む」次回につづく)

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*註
1 拙稿「異類と双身」『変成譜』所収(春秋社、1993年)。
2 日のもとに住みわびつゝも有りふれば 今日から松を植ゑてこそ見れ


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山本ひろ子先生のプロフィール 山本ひろ子
日本宗教思想史専攻。70年代に生まれた「寺小屋教室」にて、原典購読を中心とした活動を続ける。
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