新・野川日記� 南下日録〜大阪から新宮へ | office_hiroko

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 和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。学内のはみ出し者、山伏、学外から勉強しにきた外人と様々な人種で構成され、いまや一種のアジール(聖域)と化している。毎週一回のゼミの後、夜会と称して山本先生を囲んだ懇談会を開催しており、そこに連れ込まれていつの間にか一員となった者も数多い。ゼミとは別に、有志による勉強会も随時開いている。また学外の学びの場である成城寺小屋講座にも主体的にゼミのメンバーは関わっている。長野県蓼科の山荘や、高知県物部町の「和光大学ものべ荘」、そして鶴川の「岡上ハウス」などの拠点を持ち、日々勉強に邁進する。本HPはそんな山本研の活動の一端を発信すべく2011年5月にリニューアルした。

新・野川日記� 南下日録〜大阪から新宮へ



◇旅のはじまり〜車窓の幻景
 「八月は野伏せ山伏せ多かりき帝釈天星宝庫(ほくら)を開け」。「ふつふつと死界の音ら耳に鳴るこの物の怪のはらふ術(すべ)なく」。

八月の声を聞くと、ひらいてみたくなるのが村上一郎の歌集だ。またカレンダーの数字群から、中上健次の命日8月12日が、つと立ち上がってこちらへ歩いてくるときがある。今年がそうだった。


 8月3日のフライトは、羽田発関西空港行きの最終便だ。激しい風雨が地面を叩く中、新百合ケ丘から空港行きのリムジンバスに乗る。乗客は私1人。走行音だけが響く、静まり返った車内から窓の外を眺めると、風景は雨に滲みながら走馬灯のように流れて旅のはじまりを彩る。あざやかな光の帯と暗い港のコントラストが織りなし、変幻してゆく品川埠頭の光景の美しさ、妖しさ。さながら異界の景観で、脳裏に不穏な八月が明滅する。

◇摩多羅神交遊
 4日朝、ゼミ生の”岡上三人衆”と合流して、高石市の乾武俊さん宅へ。民間仮面と被差別部落伝承の研究者・乾武俊さんとは摩多羅神が縁で、ここ数年親しくお付き合いをさせていただいている。三人衆が旧南王子村の信太の森や聖(ひじり)神社・和泉市立人権文化センターを散策している間、乾宅では安来・清水寺の清水谷貫主さんをまじえて、三者会談。清水寺で来年4月に挙行される本堂改修記念の落慶式は、摩多羅神の正式なお披露目も兼ねる。だったら摩多羅神の芸能を創作・上演しようではないか。そんな楽しい目論見をめぐってあれこれ談義した。

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左:『ある被差別部落の歴史―和泉国南王子村』  右:旧南王子村″信太の森″の「聖神社」

 夕方、乾氏宅を辞して貫主さんと京都へ向かい、祇園の料理屋さんへ。落慶式の会奉行(えぶぎょう)を務める真如堂一瓩粒弍澑 ̄村慶淳さんとご一緒に一献。ちなみに真如堂にも元禄年間制作の摩多羅神像が祀られている。5日朝、ホテルで朝食後に貫主さんとお別れし、旅の前半が終わった。

◇新宮へ〜幻龍の背に乗って
 5日朝、京都から紀勢本線特急「くろしお」で新宮へ。熊野へはいつも名古屋から行くので、大阪からのルートは始めてだった。和歌山、紀伊田辺、周参見、串本……。枯木灘こそ車窓からは見えなかったが、駅名を辿ってゆくと、中上の『紀州』を触っていくような心持がする。4時間後、久しぶりの新宮に到着。天王寺から鈍行でやってきた岡上三人衆と合流する。昼食は、もちろん名物のさんま寿司だ。やはり美味い。

紀州

「新宮という土地は大きく二つに分かれている。いまはもう跡かたなく削りとられたが、土地の真ん中に龍が臥したようにあった臥龍山を境にして、海寄りを熊野地、熊野の山々とその臥龍山に挟まれるようにあったところが新宮。その新宮を、よく人は、まち、という。」(『紀州ー木の国・根の国物語』)



 被差別部落とその象徴ともいえる「路地」は臥龍山の一角にあった。この山が5年をかけて削り取られ、「路地」は消失した。今、その跡に国道が走り、「新宮ユーアイホテル」などが並び立つ。ならばせめても元臥龍山の背中の上で眠ろうと、このホテルにチェックイン。夜は佐木隆三さんと中上紀さんの講演と対談を聞く。さすがというべきか、老成なのか、間の取り方が絶妙で、エピソードを織り込んだ佐木さんの話は楽しめた。

◇熊野大学夏季セミナーを聴講する
熊野大学 ちらしのコピー.jpg 6日朝から、映像、いくつもの報告、シンポジウムという構成でセミナーが始まった。熊野大学は、「建物もなく、入学試験もなく、卒業は死ぬ時」をモットーに、1990年に中上自身によって開設された。中上は早々と「卒業」してしまったが、柄谷行人・高澤秀次たちをコーディネーターに地元の志ある人々の結集で継投され、近年は、青山真治・前田塁・中上紀たち若手が地元スタッフと連繋して企画や運営を担う。中上の誕生日あたりに行われる夏季セミナーは、しっかり地元に定着しているが、運営はさぞや大変だろう。熊野大学とは規模といい、人材といい比べようがないが、私も「成城寺小屋講座」という私塾を営んでいるせいか、他人事の気がしない。



 熊野大学へは、2002年に報告者として参加して以来だから、9年ぶりである。近年、大阪の旧南王子村や高知の赤岡を中心に被差別部落の芸能・信仰を追いかけており、また授業もここ数年、中上を扱っているので、岡上三人衆を誘い、熊野大学へ馳せ参じた次第。(なおこの6月に、成城寺小屋講座でも関連する研究会を開いた。こちらを参照。)

41zE7FKxA+L__SL160_.jpg セミナーの今年のテーマは、「中上健次と大逆事件100年」。かすみ夫人・紀さんや熊野大学の人々との再会は嬉しかったし、エネルギッシュな高澤さんの報告や佐藤春夫記念館館長辻本雄一さんの緻密な報告をはじめ、さまざまな視点からの問題提起に考えさせられること多々。紀さん、青山さんの司会やスタッフの奮闘振りにも感服した。熊野大学のみなさん、お疲れさまでした。
 
 
◇ケンジ君と鉄板
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 二日間とも夜は、高澤さんたちとホテル裏の居酒屋「かあさん」で飲んだ。高澤さんとは2002年の熊野大学以来の知己で、朝日カルチャーセンターでは「千年の熊野―中上健次」の講座を一緒にひらき、また成城寺小屋講座でも「甦る中上健次」と題した3回の講座をやってもらった。


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高澤さんとおかみ


 高澤さんの弁舌と占いも得意なおかみの話が飛び交う中、珍しい「ゴンドウ鯨」の干物をつまみに地酒の「太平洋」を飲む。「山本一力の時代小説に“太平洋”が出て来るが、あれは分っとらん」と、高澤さん吼える。なぜなら、江戸時代には「太平洋」という名称は存在しなかったからだ。高澤さんのポレミークな話しぶりと勢いに当てられっぱなしの岡上三人衆。(まあ、初心者ということで、おめこぼしあれ、高澤さん。)
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これぞ珍味!ゴンドウ鯨の干物


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ケンジ君ゆかりの鉄板でお好み焼き


 二日目の「かあさん」では、ケンジ君ゆかりの鉄板が”登場”した。「ケンジ君、やさしかったよ……」とおかみ。この鉄板、元は中上健次行きつけの「朋輩」という店の鉄板だったそうな。「ママは美人だけど商売っ気がなくて、店がすごく汚いの」。「いつだったか、イタリア製のネクタイを店の壁に吊るしたままで、中上が鉄板を焼いたんで、あとでかすみさんがすごく怒ったんだぜ」と高澤さん。そのママも亡くなったので、「かあさん」は鉄板を貰い受けたのだが、これまで使わずじまいだった。「ウチで鉄板使うのはじめてだよ〜。今日は特別さ」。ケンジ君ゆかりだし、「焼き込んだ鉄板は味も匂いも違うんだから」と言い放つおかみの焼きっぷりも豪快そのもの。最後に特製ソースを塗り、粉状のかつおぶしと青海苔を大量にまぶす。これが新宮風なのだとか。出来上がったお好み焼きは分厚く、具もたっぷりで食べごたえ充分。知らないはずなのに、ケンジ君の思い出をかじっている気がした。
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新宮市立図書館内の「中上健次資料収集室」にて。司書の山さんからお話を伺う。


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熊野大学で出た弁当の包装紙。熊野詣と三本足のカラスのデザインです。



 7日の午後、名古屋周りで帰京する。大阪からでも名古屋からでも新宮は本当に遠い。その遠さに心地よく打ちのめされながら、「この遠さが思考の距離になりますように」と呟いてみる。あわただしい旅だったが、異神と中上健次が私の中で、たしかにつながった気がした。来年は中上健次没後20年という節目の年を迎える。それに向けて、私を乗せた夜行列車も、そろそろと動きださねばならない。死者たちの群れのその向こうに。熊野ラスト.jpg
新宮・熊野川の河口付近



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山本ひろ子先生のプロフィール 山本ひろ子
日本宗教思想史専攻。70年代に生まれた「寺小屋教室」にて、原典購読を中心とした活動を続ける。
山本ひろ子研究室とは? 山本ひろ子
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先生の著作紹介 山本ひろ子
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