新・野川日記③ 出雲・霊山寺のお薬師さん | office_hiroko

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 和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。学内のはみ出し者、山伏、学外から勉強しにきた外人と様々な人種で構成され、いまや一種のアジール(聖域)と化している。毎週一回のゼミの後、夜会と称して山本先生を囲んだ懇談会を開催しており、そこに連れ込まれていつの間にか一員となった者も数多い。ゼミとは別に、有志による勉強会も随時開いている。また学外の学びの場である成城寺小屋講座にも主体的にゼミのメンバーは関わっている。長野県蓼科の山荘や、高知県物部町の「和光大学ものべ荘」、そして鶴川の「岡上ハウス」などの拠点を持ち、日々勉強に邁進する。本HPはそんな山本研の活動の一端を発信すべく2011年5月にリニューアルした。

新・野川日記③ 出雲・霊山寺のお薬師さん



 2010年3月に、安来の名刹・清水寺で中世の摩多羅神の木像が発見された―。飛び込んだこのニュースにつき動かされて私の出雲の摩多羅神への旅が始まり、はからずもたて続けに論考を執筆することになった。*註1 この平成に目覚めた摩多羅神のご縁で、清水寺の貫主・清水谷善圭さんとは親しくお付き合いをさせていただいている。先日貫主さんとお会いした折に、出雲の霊山寺の話を伺った。 
 出雲大社近郊でもっとも古くから開けた「遥堪」と呼ばれる地区に、大きな薬師像を三体お祀りする鰐淵寺末寺の不老山霊山寺がある。無住だったこの寺を貫主さんがこの4月から護持する事となり、毎月8日に護摩を焚いているのだが、御本尊の薬師像の由来は不明とのこと。それを聞いた私は、昔書いた叡山の薬師信仰に関する論考を思い出し*註2、お役に立つかどうか自信がなかったが、お送りした。するとすぐに貫主さんからお手紙が届いた……。


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■清水谷貫主さんからの書簡㈠
 本日「中世叡山の薬師信仰」拝受致しました。早速拝見しましたら大変なことを発見しました。と申しますのは、私がお預かりしました霊山寺のご本尊はお話しした通り像高150センチの薬師像三体で、その中心の像が定印に宝珠を持っておられます。これまでこのような像を見たことがなかったのでその訳を知りたいと願っておりました。今回伝教大師が彫刻された根本中堂の薬師像が宝珠を持っていること。その理由が宝珠は法華経の心を表し薬師の衆病平癒の願いと薬師品の説く願いとも同じであるから、との稿を読ませていただき、目前の雲が晴れた心地がしています。

 合わせて、この霊山寺の周りには薬師仏を祀る寺院が10ヶ寺以上あり、そのわけも知りたいと思っておりましたが、先生のご論考の中に地主神(二宮)と薬師如来が習合するとの箇所があり、何か理由が解ったような気がしております。と言いますのは霊山寺のある「遙堪」というのは、出雲大社が松江から杵築の地に移ってきた時、鰐淵寺領から分け与えられた大社の最初の所領地らしいからです。

 しかも当時、稲佐の浜は西方浄土への入り口とされ、補陀落渡海が再三実施されたとの記録があり、杵築大社の本地仏は阿弥陀如来、そして地主権現は薬師如来とする山王神道思想が流布していたのではと勝手に推測しています。10ヶ寺の内、4ヶ寺は天台宗、もしくはもと天台宗です。先生の論考は、まったく歴史の解らない霊山寺の縁起を起こすのには格好の材料と喜びました。

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「七仏薬師法道場図」(『阿娑縛抄』より)


■貫主さんからの書簡㈡
前回のお手紙に書きましたように、霊山寺の歴史は鰐淵寺の末寺という以外まったく不明で、江戸初期に藩主の弟の息子が鰐淵寺の僧となり、霊山寺の住持になった事だけが言い伝えられています。30年余の間無住でしたが、縁あって私が護持を引き受け、毎月8日の午後に薬師護摩を焚いて、お勤めをしております。今月は恒例の十二天供法要の月ということで、去る8日に十二天図を掛けて十二天供養の護摩法要を厳修いたしました。

 1,入堂
 2,諸天讃(声明)/この間導師作法
 3,法則
 4,三段護摩修法/諸天壇で十二天に供物お供え
 5,総回向
 6,挨拶・法話

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 本尊薬師如来は総高150センチ程の木造・総金箔貼りで、写真のように定印を結び、如意宝珠を持っておられます。霊山寺を預かって4回目の法要ですが、これまで宝珠を持つ薬師如来を見たことがなかったので、その意味を知りたいと願っていました。山本先生から薬師如来に関する論文を頂戴し、この宝珠を持つ薬師如来こそ天台宗独特のものであることを知り、自信を持って薬師如来と信者のみなさまに説明できたことが有難かったです……。◆


 摩多羅神だけではなかった。今度は出雲の薬師さんが私を揺さぶり、とうの昔に忘れかけていた叡山の中世へと私を連れ戻す。出雲には何度も行ったのに、霊山寺には行かずじまい。「遥堪」という地名や30年間も無住だった歴史に、何となしに胸がざわめく。(そういえば清水寺も長い間無住だった。)出雲北山の中腹にある霊山寺界隈には、うっそうたる原生林が残ると聞いた。この秋には、有名な百一段の石段を登り、薬師さんにお会いすることにしよう。
(写真提供/清水谷貫主)


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摩多羅神が“出現”した、安来・清水寺
清水寺 公式ホームページはこちら。


注1 〝出雲〟を巡る思索について気になった方はこちらを御覧下さい

・山本ひろ子「摩多羅神の出現―出雲への旅〈上〉」『山陰中央新報』2010.4.15
・  〃    「摩多羅神の出現―出雲への旅〈下〉」『山陰中央新報』2010.4.16
・  〃    「出雲の摩多羅神紀行(前編)―遥かなる中世へ」『文学』2010.7-8
・  〃    「出雲の摩多羅神紀行(後編)―黒いスサノオ」『文学』2010.9-10
・  〃    「出雲の摩多羅神―異神たちの中世へ」『山陰中央新報』2010.10.26※当サイトでお読みいただけます

注2 薬師信仰に関する論考

・山本ひろ子 「信仰/儀礼/物語―中世叡山の薬師信仰をめぐって」『日本文学史を読む 3中世』有精堂、1992.3
・   〃  「使霊たちの世界―叡山の十二神将をめぐって」日本の美術NO.381『十二神将』至文堂、1998.1



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日本宗教思想史専攻。70年代に生まれた「寺小屋教室」にて、原典購読を中心とした活動を続ける。
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