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 和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。学内のはみ出し者、山伏、学外から勉強しにきた外人と様々な人種で構成され、いまや一種のアジール(聖域)と化している。毎週一回のゼミの後、夜会と称して山本先生を囲んだ懇談会を開催しており、そこに連れ込まれていつの間にか一員となった者も数多い。ゼミとは別に、有志による勉強会も随時開いている。また学外の学びの場である成城寺小屋講座にも主体的にゼミのメンバーは関わっている。長野県蓼科の山荘や、高知県物部町の「和光大学ものべ荘」、そして鶴川の「岡上ハウス」などの拠点を持ち、日々勉強に邁進する。本HPはそんな山本研の活動の一端を発信すべく2011年5月にリニューアルした。

新・野川日記 〔鄒遒凌絽擦


新・野川日記 〔鄒遒凌絽擦悄 5月29日  山本ひろ子

 総合文化学科サイトに時折寄稿していた「野川日記」は、古井由吉の小説『野川』に始まった。「新・野川日記」は、文字通り「野川」から綴ってゆくことにしようか。ただし紹介するのは戦前の野川で、案内人は「喜多見村」(現成城)の丘の上に住んでいた柳田國男(「野中の清水」)である。

 国分寺から世田谷方面にかけて 国分寺崖線(<ハケ>)と呼ばれる緑豊かな河岸段丘が続く。この崖の連なりに沿って流れるのが野川だ。喜多見から下流の二子玉川方面に歩いてゆくと、やがて「次大夫堀」と呼ばれる六郷用水に出る。

 次大夫堀は慶長16(1611)年に、用水奉行の小泉次大夫の指導で造られた農業用水で、現在は用水路の一部をかつての水田風景や民家とともに復活させた次大夫堀公園になっている。昔さながらの田園風景はなかなかに趣きがある。

 さて柳田の興味を引いたのは、六郷用水ではなく、これに「参加してる大小三つの流れ」だった。用水には絵図や文書記録があり、また小泉次大夫の功績で「名を留めている」が、かたや三つの小川は「黙々として効果を挙げている」だけ。「民衆の力」というものはおおむねこうしたもの、だから「流れを遡ってみなければならぬ」と誓う柳田である。

 六郷用水にそそぎこむ三つの小川のうち、二つは無名(柳田は勝手に東川・西川と名づけた)だが、子供が雑魚をすくい、水車で精米をするほど豊かな水量で、柳田家が毎夏の盆に精霊流しをする川でもあった。けれども半日も歩けば水源に行き当たってしまう。
 「第三の流れはこの二つに比べるとずっと大きく野川というなつかしい名が地図の上に記され、しかもその水源は久しい間、私にとってはテルラ・インコグニタであった。六郷用水に落ちて来る少し上手でも、両岸にはまだ萱原、笹原が残り、川楊(かわやなぎ)の根株を洗っているような処もあって、いかにも野川の名がふさわしく感じられる」。

 こうして二万五千分の一の地図を手に野川の水源へと遡る、探索の旅が始まった。「幾日も幾日も…何しろ川端には細路もない」ので「大廻りをして」、小金井の野川の窪地を通り、ようやく国分寺の恋ヶ窪村へ辿り着く。「たった一言に記述してしまうならば、野川の水上が恋が窪の清水だったのである」。ただし「恋が窪」という地名はあやしいぞ。こんな「物好きな地名を、最初の耕作者が付けたはずはない。起りは単純に水を意味し、もしくは泥が深いので、コヒヂであったかも知れぬ」と批評眼も光る。

 そんな柳田のことだ、むろん見つけたのは水源だけではない。近くには、書物に出ていた牛頭天王の祠があった。雑然と置かれた祭り道具の地口行燈に、「こいつは少しばかり古風だわい」と覗き込むと、茄子と扇子を持ち翁面を被った人が描かれた行燈には、「なすはおきなのたつみ風」の地口。おやこれは、江戸で知られた名吟「きのふきた風けふみなみ風 あすはうき名のたつみかぜ」のもじりじゃないか。海の見える色町で歌われていたらしい民謡が、なぜこんな野中の村の地口行燈に残ったのだろう。


 「古い表紙の破れた一冊の種本を、克明に毎年模写しているような親爺でもいるのか。それとものらくら者が町で喰い詰めて、このあたりに来て年老いつつあるのか。あるいはまた土地にこういった趣味が前からあって、存外にひねった文句を珍重する旦那衆でもいるのか。何だか知らぬがこれなどはまさしく江戸文化の破片であった。それが国分寺の畠の瓦以上に埋没している」。小さな「破片」をひょいと拾って、そこから文化の伝播・人々の足跡や交流をまざまざと想像する。いつもながら柳田の洞察の深さと妙味には舌を巻く。

 さてこの旅の結末はというと――。「私が約半歳の探検を重ねて、やっと発見したと思った恋が窪の源頭は、地元に行ってみるともうちゃんと知っていた」。がっかりする柳田だが、考えてみればそれも道理。「広い武蔵野の処々の泉が、地下に通うということをこの人たちはもう知っている。…ただその地下という未知数の全体を実験する方法がないばかりに、まだ当分は、古い世の名歌を口ずさまなければならぬのである。いにしへの野中の清水ぬるけれどもとの心を知る人ぞ汲む。」

  谷戸橋、神明橋、桜並木…。喜多見・成城付近の野川は、私の“哲学の道”である。しばらくは柳田たち先人の文章と思索を道連れに、野川周辺を逍遥することにしよう。「未知」なる地下水脈の響きを幻聴しながら。



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日本宗教思想史専攻。70年代に生まれた「寺小屋教室」にて、原典購読を中心とした活動を続ける。
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