論考を読む | office_hiroko

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 和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。学内のはみ出し者、山伏、学外から勉強しにきた外人と様々な人種で構成され、いまや一種のアジール(聖域)と化している。毎週一回のゼミの後、夜会と称して山本先生を囲んだ懇談会を開催しており、そこに連れ込まれていつの間にか一員となった者も数多い。ゼミとは別に、有志による勉強会も随時開いている。また学外の学びの場である成城寺小屋講座にも主体的にゼミのメンバーは関わっている。長野県蓼科の山荘や、高知県物部町の「和光大学ものべ荘」、そして鶴川の「岡上ハウス」などの拠点を持ち、日々勉強に邁進する。本HPはそんな山本研の活動の一端を発信すべく2011年5月にリニューアルした。

論考を読む

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山本ひろ子先生の執筆された論考を読むことができます。


「出雲の摩多羅神 異神たちの中世へ
「山陰中央新報」2010.10.26


                        摩多羅神坐像(安来・清水寺蔵)

 ― 強い霊異、常行堂に祀る
                    異貌のスサノオと遭遇 ―

 安来の清水寺で、中世の摩多羅神の神像が「発見」された―。そのニュースや今回の「神々のすがた」展で、「摩多羅神」なる名前と存在をはじめて知った人が多いのでは。一般にはなじみのないこの神は、平安後期から中世にかけて海を渡ってきた「異神」で、その出自も来歴も謎に満ちている。志賀・園城寺の新羅(しんら)明神や西坂本の赤山(せきざん)明神なども異神の仲間といってよい。
 摩多羅神の本貫地は、慈覚大師円仁ゆかりの叡山常行堂で、摩多羅神は叡山から常行堂の様式や儀礼とともに、日光山、平泉の毛越寺(もうつうじ)、多武峰(とうのみね)など各地の有力天台寺に伝えられた。常行堂は念仏修行の道場で本尊阿弥陀仏を中央に配し、堂の背面隅には摩多羅神を秘密裏に祀(まつ)る。
 「表」の阿弥陀仏のほかに、なぜ「裏」の摩多羅神を必要としたのか。それはこの神のいちじるしい霊力を仰ぐためで、堂衆たちにとっては結社的な神だったと考えられる。のちには芸能神や作神としても崇(あが)められてゆく摩多羅神だが、清水寺摩多羅神像の胎内銘「常行堂」は、その原郷があくまでも常行堂であることを名証してくれた点でも意義が大きい。
 ところで、山陰の摩多羅神として一部に知られていたのは鰐淵寺の摩多羅神で、こちらは常行堂の中ではなく、堂と合の間でつながる後方の「摩多羅神社」に祀られている。実に特異な建築・奉斎様式なのだが、どうやら鎌倉時代以来の形態らしい。今なお住職によって一子相伝の摩多羅神法が実修されているのも特筆に価する。叡山常行堂の様式をそのまま踏襲せずに、出雲流というべき独自の趣向と作法によって、摩多羅神はしたたかに生き続けてきた。
 大雪による堂の倒壊によって中世の奇瑞譚(きずいたん)さながらに「飛び出し」、その姿を白日の元に晒(さら)した清水寺の摩多羅神と、おそらく昔のままに社殿の奥に密蔵されてきた鰐淵寺の摩多羅神。二様の摩多羅神が演じる「顕」と「冥」の神秘劇に「出雲的なるもの」が揺曳(ようえい)し、限りなく想像力をかきたてる。
 周知のごとく神仏習合の中世では、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)によって神々に本地仏を配当した。天照大神は大日如来、また聖観音といった風に。叡山の摩多羅神は、臨終や往生をつかさどるという働きからダキニ天に、また「マカカラ」(大黒天)という音との類似から大黒天と同体視された。両天ともおそろしい障礙(しょうげ)神である。
 しかし出雲の摩多羅神は、ダキニ天でも大黒天でもなく、出雲ならではの神に関心を寄せ、接近遭遇を果たす。“摩多羅神はスサノオノミコトなり”。ただしそのスサノオは、大蛇退治の英雄でも天界荒らしの問題児でもなく、根の国・死の国の主で、その聖所というべき葬地は、唐川の畑や鰐淵寺の山=「熊成の峰」(弥山)、また日御碕の「隠ヶ岡」とみなされている。
 歴史的実在を強烈に示した清水寺の摩多羅神像。一方、在地の伝承とトポスから照らし出されてきた異貌(いぼう)のスサノオと摩多羅神のつながり。これらは、圧倒的な出雲の「古代」の下に、長いこと沈黙を余議なくされてきた「中世」の覚醒(かくせい)と巻き返しのように思われる。摩多羅神をめぐる思索の旅は、魅力をたたえた出雲の「中世」へ、すなわち異神たちの時代へと私たちをいざなうのだ。





「花祭幻視行」
(『図書』 岩波書店、1991.5)



家の前に柿の木があつて、光沢 (つや) のない白い花が咲いた。裏に一本の柘榴の木があつて、不安な紅い花を点した。其頃から母が病気であつた。


 やがて起る不吉な出来事を暗示するかのごとき花の開花。小川未明の短編「薔薇と巫女」の印象的な書き出しである。
 主人公の若者はある夜、次のような夢を見た。 道に迷った若者が砂丘を辿りゆくと、病めるような月光の下に咲いている一本の黄色い薔薇に出会うのだが、突然吹いてきた生温かい南の風に、その薔薇は音もなく花弁を落としたのだった……。
 まもなく母が死んだため、この夢を 夢知らせと思い込んだ若者は、霊魂の不滅を信じだした。そして友人らに神経病だと言われるほどに不安に脅える毎日を送るようになっていく。
 ある年の晩夏のこと。村を通りかかった若い巫女が、病死したばかりの娘を、いったん蘇生させたという奇蹟を耳にした若者は、その娘が住むという南方の×の町へと旅立つのである。やがてついに、月の冴えわたるある晩、「幽霊屋敷」と呼ばれる荒れ果てた家の門に辿り着く。

彼は其様な女を見たいと思つた。而して其様な女に愛されたいと思つた。此の好奇心は、彼を臆せずに秘密の門の中に導いた。たゞ巫女の黒い大きな瞳で眤と見詰められたい。魔女の手に抱かれて、其の鳶色の縮れた長い頭髪の下に顔を埋めたい。而して紅い頬と熱い唇に触れて見たいと胸の血潮が躍つた。
彼は、百人の普通の人に愛せられなくても、異常な力を持った悪魔に可愛がられたならは、もはや、自身は此世に於て孤独な人ではない。


 さて若者は「凄い美しい不思議な娘」を見つけることができただろうか……。ともあれ、若者が夢に見た黄色い薔薇は、死を蜜のように分泌しつつ、彼を蠱惑にみちた「秘密の花園」へと誘うこととなった。暗く不安な病理感覚に委ねられてはいるが、そこには寒村に生きる人々の、再生を希求する魂の祈りが〈南〉への憧憬と折り重なるようにして息づいているのである。
  *  *  *
 この若者のような体験からではないが、私もいつしか途方もない「花」の内部へと足を踏み入れるようになっていた。それは「花祭」という美しい名をもった宗教芸能と儀礼の世界である。
 花祭の「花」。それは青・赤・白・黒・黄という五方の色をベーシックなシンボリック・カラーとするが、その上に多彩な「花」の意味相が重なりあって、「花」の象徴性を複雑にかたちづくっている。またこの「花」は、擬死/再生/浄化のメカニズムを視えない花弁の内側に隠しもっているのだった。
 諏訪湖を源とし、その名のごとく竜のように山間を蛇行しながら遠州灘へと注ぎ込む天竜川。花祭はこの天竜川の支流流域――現・愛知県北設楽郡――に分布する、霜月神楽系統の祭で、今は十一月から正月にかけて、東栄町と豊根村の十数箇所の地区で夜を徹して行われている。結界した花宿の祭場 (舞処) を切り紙や湯蓋で荘厳し、中央に設けた湯釜での花太夫による湯立て神事のあと、鬼や青少年の舞などが次々と演ぜられる。きわめて修験道的な色彩が色濃い。この祭は、昭和の初期、早川孝太郎著『花祭』 (前編・後編 ) によって世に知られるようになった。
 私が初めて花祭を見たのは、東栄町・月の 祭 で、かれこれ十二年ほど前になろうか。さして明確な目的もなくでかけていったのだが、結局毎年通うこととなった。思うにおそらく、最初の年の強烈な印象が薔薇の棘のように私の意識と無意識の裂け目に刺さったからだろう。

 その出来事は「竜王しずめ」という、祭の果ての果ての最終局面で起った。
 「竜王しずめ」は 、 舞処での花祭の行事がすべて終った あと に、掃き清められた神部屋で行われる花太夫による孤独な作法である。花太夫は竜王の面を付け、竜王と化して九字護身法を行い、秘文を唱え、マジカル・ステップを踏む。もともとは部外者の見学は許されない秘儀性・呪術性の色濃い儀礼といえよう。
 と、ある瞬間、突然太夫は「ウォーッ」と面の中から叫び声を発しながら、舞処の方に向って突進し、ものすごい力で神部屋の戸にしがみついた(後に聞いた話によると、それは無意識のうちにも、荒ぶる力を押えようとした行為であったらしい)。これも後で分ったことだが、その時花太夫は神憑り状態に入ったのである。
 花祭から半年ほど経った頃、私は何かにつき動かされるようにして、花太夫の家を尋ねていた。思えばそれが花祭との最初の出会いとなったのだった。

 月の花太夫森下武之氏の屋敷は、御殿山の中腹の寺甫(てらんぼ) という字にある。二百戸余りの月の家々の中で、もっとも高い場所に位置するため、「 宙 (そら)」という屋号をもつ。家のすぐ横の急な石段を登りつめると槻神社がある。森下家はこの神社の神主家で、また代々世襲で花太夫を務めてきた家筋なのだった。
 私は時折、森下家を訪問しては太夫さんの話を聞くことがあったが、もっとも興味を惹かれたのは、花太夫としての修行法であった。一時、都会で教師をしていたこともある武之氏にとって、花太夫職を譲り受け、執行していくことは容易なことではなかったらしい。
 花太夫はその名の通り、司祭者として花祭の中心的存在であり、神事の一切は花太夫の手によって執行される。祭に先立つ、二百数十種の「切り草」をはじめ、「滝祓い」などの野外神事、舞処での「湯立て」はもちろんのこと、先にふれた「竜王しずめ」まで、その作法は複雑でしかも高度な技術を要求される。

 が、何といっても覚えるのに大変だったのは「湯立て」であるという。湯立てとは、釜を祓い、火と水の操作によって湯を立て、そこに降臨した神々に聖なる湯を饗ずる儀礼で、秘事口伝とされる呪文や印契を伴っている。問題はその中の「神拾い」であった。神拾いとは次々に神名を唱えては神の来臨を乞う神勧請のことなのだが、ここでは実におびただしい神や仏、精霊らがグループ毎に招聘されるのである。なかでも圧倒的に多いのは、全国(七道)の神々であり、それらの名称と順序を、すべて暗記して、順序正しく拾っていくことは並大抵のことではなかったらしい。太夫さんはそのために白い紙に日本地図を描き、地方別に色分けし、神名と土地を記憶したり、花祭の翌日から、寝る前に布団の中で神拾いの練習をしたものだと話してくれた。
 湯立て神事で全国の神を勧請するとき、太夫は頭の中に日本地図を思い描き、そのルートを辿りながら次々と神の名を拾っていくにちがいない。神拾いの技法。それは修験山伏や宗教芸能者が実際に歩いた道筋、信仰運搬のルートとともに、花太夫の原像をも私たちにかいまみせる。


 花太夫を支える世襲の神人を、みようど(宮人)といい、やはり、特定の家筋から出る。いつだったか、森下家に、月のみようどと氏子総代らの人が集まって私が話を聞くという機会があった。昔の花祭のあれこれ。天狗の火や山の神の話。どれもこれも面白かったのだが、妙に脳裡に焼きついた話がひとつある。
 花祭の鬼には榊鬼、山見鬼(山割鬼)、茂吉鬼があるが、このうち山見鬼の家筋で、また舞の名人の家でもあるみようどの金田さんの話。戦争中、一兵卒として大陸にいた金田さんは、夜間、交代で歩哨として見張りに立っていた時、寒いのと退屈なので、花祭の舞を舞った、そうすると体も暖まり、時間の経つのも忘れた、という。
 月も凍るような厳寒の大陸。広大な大地を舞処としてたった一人黙々と舞い続ける若い兵士。太鼓や笛を幻聴に聞き、歌楽を低く口ずさみながらステップを踏む。満天の星々にせよ新月の闇にせよ、無窮の天空はたった一人の花祭のために用意された神々の天蓋、最高の舞台装置なのである。
  *  *  *
 花祭にはいくつかのヤマがある。土地の人々は心得たもので、家や宿に帰って休んでは、ここぞという時にまた花宿にやってくる。一昼夜という長い時間のなかで、舞処は人がひしめき合い、立錐の余地もない時もあれば、演者以外には人影もまばらという頃もある。
 たくさんの人を吐き出したり、また飲み込んだりする花宿は、自在に膨張と収縮を繰り返す巨大な生き物のようだ。宿をとらない私は、間歇的に襲いくる睡魔に 抗 (あらが) ったり、身を委ねたりしながら、ひたすらこの生き物に寄生し、つかのま共生の夢を紡ぐ。
 とりわけ翌日の午後となり、「三ツ舞」、「四ツ舞」の長い舞が続く頃には、しばしば意識も朦朧となり、午後の逆光を受けた少年たちの黒いシルエットの向うに、もうひとつの花祭を幻視するのである。
 催眠は時として、場を形成する祭の重要なファクターとなる。
 月の「しずめ」が竜王一人であるのに対し、豊根村下黒川の「しずめ」は「火王」と「水王」の二人舞である。ここでもやはり祭の終了後に、座敷を掃き清めてから演じられるのだが、もの悲しくも甘やかな笛の旋律と、太鼓のリズムに導かれて火王・水王が美しい対の動きをみせはじめると、不思議な快感と睡魔がゆっくりと場を支配していく。
 五年程前になろうか。下黒川の「しずめ」で演者以外のほとんど全員が居眠りをしていることがあった。座ったままこっくりこっくりする姿はほとんど一様で、それは一種の集団催眠といってよい。極度の疲労、不眠、そしてえもいえぬ虚脱感を誘引する笛・太鼓の拍子。私もいつしかひきずりこまれていったのだが、時おりはっと目を開けると、向うの正面で火王と水王が、手を打ちあわせたり、旋回したりして対称的な動きをみせているのが、かえって幻景のようであった。ここでは火王・水王の所作に感応したかのように、睡魔がバイブレーションとなって、場に浸潤していくのだ。
  *  *  *

 一方で花祭には、<騒乱のエクスタシー>ともいうべき演目がある。それは祭も終りに近づいた頃の「湯ばやし」と呼ばれる四人の少年の舞で、ダイナミックな鬼や可憐な花の舞と並んで圧倒的な人気を誇る。
 この湯ばやしの時 、たしかに花祭は最高潮に達する観がある。一時間ほど舞ったあと、四人の舞子が手にした湯たぶさで湯釜の湯を、舞処や見物衆に激しくかけ回るからだ。湯たぶさをかついで追いかける舞子。歓声をあげながら逃げまどう人々。この湯を浴びることで身が清まるともいう。
 忘れがたい湯ばやしの光景があった。七、八年前の、東栄町中設楽(なかしだら) の花祭である。
 舞処におりたったときから、中学生ぐらいの四人の舞子には殺気立った表情があった。なかでも目を惹いたのは、その中の赤い頬をした、明らかに一卵生双生児と思える二人の舞が、絶妙であったことだ。
 影の演出者、見えない精霊の繰り出す糸に踊らされてでもいるかのように、舞子の動きは驚くべき躍動性の中にも、高い様式性を備えていた。二人が瓜二つの双子であることが、その様式美をいっそう際立たせ、喧噪とどよめきの中なのに、私は沈黙の仮面劇を見るような錯覚に陥った。
 ものにとり憑かれたような表情で悲壮、かつ華麗に舞う四人の少年をとり囲みながら、人々の群れの輪はしだいにふくれあがり、歌楽 (うたぐら)と拍子リズムに唱和しながら波のようなうねりをみせていく。
 ひきつり、歪む横顔。怒っているのか泣いているのか、十三、四歳の少年のみが見せる酷薄な表情とアクロバティックな四肢の動きに、巧智な舞踏の神が宿り、通りすぎていく祭の季節が一瞬凍りつく。
 やがて笛と太鼓の拍子が急テンポに変り、舞子四人が袖しぼり、烏跳びなどの動きに移ると、緊張に耐えられなくなったようにして湯ばやしはカタストロフィーを迎えるのだった。

 あとにも先にも、これ以上の湯ばやしを味わったことがない。その翌々年であったか、また中設楽の湯ばやしを見る機会があった。舞子にはやはり双子の少年がおり、賑やかさは変らなかったが、あの時の空気を震わせて波及していく漸次的な上昇感と一体感、異様なほどの緊迫感は、舞にも場にも見受けられなかった。
 ――花祭は、こうしてかりそめの姿を一瞬の身ぶるいのうちに示して、転生を装いながら死の舞踏を繰りかえしていく。

 友は、黙つてゐる彼を訪ねていろいろと話しかけた。「まだ、いつか見た夢を思ってゐるかえ。」其の友の筋肉の弛んだやうに開いた口の穴が、刹那に彼に謎のやうに考へられた。彼の頭はぐらぐらとして理窟ではない、たゞ 夢知らせ といふやうなものを信じない訳にもゆかない気がした。同時に、人々の、形のない美しい話も故意にうそをいつてゐるとは思はれなかつた。其から彼は、黒い木立や、墓石や、石屋や、婆さんの家の周囲を考へながらぶらぶらと歩いて毎日、黙つて日を暮らした。其内に、白い雪が降つてきた。(「薔薇と巫女」)




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山本ひろ子先生のプロフィール 山本ひろ子
日本宗教思想史専攻。70年代に生まれた「寺小屋教室」にて、原典購読を中心とした活動を続ける。
山本ひろ子研究室とは? 山本ひろ子
和光大学A棟816号室を根城にさまざまな活動を展開する山本ひろ子研究室。
先生の著作紹介 山本ひろ子
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